墨痕鮮やかな書。見事な作品を締めくくるのは、左下に押された、これまた鮮やかな朱の印--- いかに見事な書でも、この落款印が貧弱では、すべてぶちこわしです。画竜点睛という言葉が、これほどぴったりの例は他にありません。落款印は単なる作者のサインではなく、それ自体が芸術作品です。朱と白が織りなす方寸の美が、書家や画家の情熱をかきたてるもの。押された印影は、ひとつの篆刻作品なのです。雅号を考え、印材にこだわる。落款印の世界に優雅に遊ぶ芸術家たちの姿が、朱の印影を通して見えるようです。 中国の古い書画を見ると、落款以外にも画面全体にさまざまな印が押してあることがあります。これは、所有者が「自分のものだ」という宣言のために押す印で、いわば、名品を所蔵したプライドの象徴なのです。所有者が代わるたびに押されるので、どんどん増えていきます。これらの印は、鑑蔵印とよばれています。 落款印に使われる印材は、青田石や寿山石が一般的で、手に入れやすいのですが、最高級品は、中国で産出する田黄石や鶏血石などの名石です。その気品あふれる美しさは、誰でも一度は手にしたくなるものですが、現在では良質のものは掘りつくされ、稀少価値になっています。